大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

岐阜地方裁判所 平成4年(ワ)297号 判決

原告

鷲見恭孝

鷲見セツ子

右原告ら訴訟代理人弁護士

加藤良夫

野田弘明

右野田弘明訴訟復代理人弁護士

竹内裕詞

被告

右代表者法務大臣

宮澤弘

右訴訟代理人弁護士

秋保賢一

右指定代理人

山本英樹

外七名

主文

一  被告は、原告ら各自に対し、金二五八八万三五〇五円及びこれに対する平成四年七月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その三を原告らの、その余を被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告ら各自に対し、金三五三八万三五〇五円及びこれに対する平成二年一〇月二日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

被告は岐阜大学医学部附属病院(以下「被告病院」という。)を開設しているものであり、原告鷲見恭孝(以下「原告恭孝」という。)及び同鷲見セツ子は、平成二年一〇月二日被告病院で死亡した鷲見孝(昭和四五年九月二四日生。以下「孝」という。)の父母である。

2  診療経過

孝は、次の経過をたどり被告病院で死亡した。

(一) 平成二年八月一七日(以下、年の記載のないものは「平成二年」が省略されているものとする。)

(1) 午後〇時一〇分ころ、勤務先の山口鋼業株式会社で就労中、金属プレス機のローラーに両手をはさまれて両手圧挫創の傷害を負い、午後〇時四〇分ころ救急車で被告病院に搬送され、直ちに入院を指示された。

(2) 被告病院整形外科に所属する西本博文医師(以下「西本医師」という。)が主治医となり、被告病院を受診してから四時間一五分後である午後四時五五分、右手につき腹部への有茎植皮、左手につき創縫合の手術が施行された。

(3) 前項の手術を終えた時点で、右手については感染が、左手については母指・示指・小指の壊死が懸念された。

(二) 八月一八日右手に黄色で多量の滲出液が、左手に多量の出血が認められ、翌一九日には右手の植皮部・橈骨側の色がくすんでいることが認められた。

(三) 八月三〇日右手に黄緑色の滲出液が多量に認められ、刺激臭を放っていた(被告病院の松永教授は西本医師に対し、感染に対する処置を採るよう指示した。)。

(四) 九月三日呼吸困難があり、翌四日には八月三〇日に採取した細菌検査の結果、緑膿菌及び腸球菌に感染していることが判明した。

(五) 九月一〇日右手につき皮弁切離術、左手につき小指断端形成術が施行され、二一日には右手に黄緑色の滲出液が認められ、右手の母指と示指の間の壊死部の切除術が施行された。

(六) 九月二六日右手について左胸部に、左手について左腹部にそれぞれ有茎植皮術が施行され、かつ、左環指断端形成術が行われた。

(七) 九月二七日以後三九度を越える発熱があり、九月三〇日には三八度であったが、創部から強い悪臭が発生していた(孝はその臭いが気持ち悪くて吐きそうだと訴えた。)。

(八) 一〇月一日西本医師は敗血症を疑い、血液培養検査のため動脈血を採取した(孝は41.1度の発熱とともに、頭痛、吐き気を訴えた。)。

(九) 一〇月二日

(1) 午前一〇時右手創部に黄緑色の滲出液が認められ、午後三時ころ悪寒・戦慄とともに「頭が割れそう。胸がえらい。息ができない。」と訴え、午後三時二〇分呼吸困難となり、午後三時三〇分に意識を消失した。

(2) 被告病院内科医森岡康夫医師(以下「森岡医師」という。)は敗血症によるエンドトキシンショックを疑い、輸液のため鎖骨下静脈穿刺を施行した。

(3) その後、呼吸停止を来して心停止に至り、蘇生術が施されたが、回復せず、午後七時五七分死亡の宣告がなされた。

3  孝の死亡原因

孝は、緑膿菌等に感染し、敗血症性の呼吸困難が生じていたことに加え、鎖骨下静脈穿刺の際に生じた鎖骨下血腫及び血性胸水が無気肺をもたらしたことが原因となり、呼吸不全から心停止に至り死亡したものである。

4  被告の責任

被告は、八月一七日孝との間で前記傷害につき最善の治療を施行する旨の診療契約を締結し、以後被告病院の担当医らは被告の履行補助者として孝に対する診療行為を行ったが、右担当医らの診療には次のような不適切な点があり、これにより孝は死亡したのであるから、被告は債務不履行責任(予備的に不法行為責任)に基づき、孝の死亡により生じた損害を賠償する責任がある。

(一) 適切な感染症対策を行わず、敗血症に罹患させた注意義務違反(過失)

(1) 感染症の予防のためには、ゴールデンアワー内(受傷後六時間内)に創部を洗浄、消毒し、デブリードマンにより壊死に至る組織を取り除いて無菌化すること、その後の消毒、ガーゼ交換、壊死組織の除去を徹底すること、適切な抗生剤を投与することの各処置が不可欠である。

また、感染が存在している状態で有茎植皮術を施行すると、細菌を閉じ込める結果となって感染症を一層悪化させることになるから、有茎植皮術を施行する場合には、特に、起炎菌に有効な抗生剤を入れた液を用いるなどして一日二回位創の洗浄を行い、物理的にも汚染された表面の組織を洗い流すことを毎日繰り返し、感染巣となるおそれのある壊死組織を全て除去し、極力無菌に近づけた上で実施しなければならない。

(2) しかるに、被告病院の担当医らは、感染症予防のためのゴールデンアワー内の洗浄、消毒、デブリードマンを的確、かつ、十分に行わず、その後の消毒、ガーゼ交換も一日に一回しか行わず、緑膿菌等に効果のないセフメタゾン、パニマイシン、フルマリンなどの抗生剤を漫然と投与した。

また、右のとおりの不適切な処置により、九月一〇日の手術以降も黄緑色の滲出液が出ており、孝の両手には細菌感染が続いていたにもかかわらず、九月二六日には壊死組織の完全な除去を行うことなく有茎植皮術を施行した。

(3) 右のとおりの被告病院の担当医らの不適切な処置により、孝は緑膿菌等に感染し、敗血症性の呼吸困難を来した。

(二) 無気肺を生じさせた注意義務違反(過失)

(1) 鎖骨下静脈穿刺は、気胸や血胸及びこれらを原因とする無気肺を生じさせる虞もあることから、基本的手技に則って十分慎重に実施し、気胸や血胸を引き起こさないようにしなくてはならない。

特に、穿刺の際に患者が身体を動かすことは十分予見できるのであるから、穿刺針の刺入は患者の身体を拘束した上で行うべきである。

(2) しかるに、被告病院の担当医らは、鎖骨下静脈穿刺を実施する際、孝の身体を拘束せずに穿刺針の刺入を行ったため、穿刺針刺入中の孝の体動を抑えることができず、穿刺に失敗した。

(3) その結果生じた鎖骨下血腫及び血性胸水が原因となり、孝は無気肺に至った。

(三) 説明義務違反

(1) 有茎植皮術の施行は、両手の機能を完全に残すために有効な治療方法であるが、反面、前記のとおり、細菌感染が生じたままこれを施行した場合には、感染症を重篤化させ、生命に対する危険を生じさせる可能性が極めて高い。

したがって、九月二六日の有茎植皮術の施行に先立ち、被告病院の担当医らは、右手術の必要性のみならず、それによった場合の危険性及び手指の一部または全部の切断によった方が生命に対する危険性を回避し得る可能性が大きいことを説明すべきであった。

(2) しかるに、被告病院の担当医らはこれを怠り、右手術の必要性のみを説明し、それによった場合の危険性及び手指の一部または全部の切断については全く説明しなかった。

(3) 仮に、右説明が正しく行われていれば、孝は手指の一部または全部の切断を選択し、死の結果を回避し得た蓋然性が高い。

5  損害

各金三五三八万三五〇五円

(一) 孝の損害

(1) 逸失利益

金四四四九万四〇一〇円

孝は昭和四五年九月二四日生まれの健康な男子で、山口鋼業株式会社に勤務していた。被告の不適切な診療行為がなければ、たとえ両手に後遺症が残ったとしても、同社に引き続き勤務し、通常の賃金を得ることは保証されており、六七歳まで稼働できた。よって、その逸失利益は金四四四九万四〇一〇円を下らない。

(一月当たりの給与23万5331円×12か月+年間賞与91万円)×生活費控除の残余分0.5×労働能力喪失期間四七年の新ホフマン係数23.832=4449万4010円

(2) 慰謝料 金二〇〇〇万円

孝は勤務先からも嘱望され、人生これからという時期に被告の不適切な診療行為によりその前途を阻まれた。かかる精神的苦痛に対する慰謝料額は右金額を下ることはない。

(二) 原告らの相続

(一)のとおり孝は被告に対し金六四四九万四〇一〇円の損害賠償請求権を取得したところ、孝の死亡により父母である原告両名が右請求権を二分の一宛の割合で相続した。

(三) 葬儀費用 金一〇〇万円

(四) 原告ら固有の慰謝料

各金五〇〇万円

(五) 労災給付

金一〇七二万七〇〇〇円

労災給付金として右金員がすでに原告らに対して支給されている。

(六) 弁護士費用各金三〇〇万円

6  結論

よって、原告ら各自は被告に対し、主位的に債務不履行、予備的に不法行為に基づく損害賠償請求として各金三五三八万三五〇五円及びこれに対する孝の死亡の日である一〇月二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1の事実(当事者)は認める。

2  請求原因2の事実(診療経過)は全て認める。診療経過の詳細は、以下のとおりである。

(一) 八月一七日

(1) 孝の両手は、被告病院に搬送された当時、高度の剥脱挫滅を来しており、受傷時に着けていた手袋の繊維やローラーの機械油様のものなどにより著しく汚染されていたため、まず救急部で、血圧、呼吸数、脈拍などのバイタルサインのチェックをし、両手に付着していた手袋の繊維などを取り除いた上でイソジン液、ヒビテン液で消毒をし、疼痛対策のため鎮痛剤であるペンタジンなどを投与した。

午後一時三〇分ころ抗生剤テストを実施した上でフルマリンとセフメタゾンを投与し、局所麻酔剤一パーセントキシロカイン一〇ミリリットルによる両腋窩神経及び腕神経叢ブロックを施行した上で直ちに創洗浄を開始した。

午後二時整形外科に送られ、同科に入院した。

(2) 孝の両手圧挫創の術前状態は次のとおりであった。

左手 手掌皮膚は手関節から基節骨近位端までグローブ状に剥離。

環指末節骨部不全挫断。

母指掌側の皮膚欠損。

小指中手骨骨頭骨折、皮膚挫滅。

右手 手背・母指・示指・中指基節骨から中節骨までの皮膚欠損及び筋挫滅。

環指橈側も同様。

示指・中指皮下組織まで深く欠損し、一部では示指基節骨まで達した。

(3) 午後二時四五分から緊急手術のため麻酔を開始し、麻酔完了後、右手の圧挫創についてガーゼ、ブラシを用いながらヒビテン液で軟部組織、骨、皮膚に付着した油様のものなどをよく洗浄した上消毒し、まず右上肢を駆血して止血しながら壊死組織、挫滅組織を切除し、さらに生理食塩水で再度ブラッシングを施行してデブリードマンを完了し、右手の腹部有茎植皮術を施行し、縫合の際に余った腹部の皮膚を切離して中指中節部遠位、環指基節部遠位の皮膚欠損部に遊離植皮術を施行した。

左手についても同様の消毒を行い、一時的に創縫合手術を施行した。

(4) 術後、セフメタゾン、パニマイシン、フルマリンなどの抗生物質を投与した。

(二) 八月一八日から九月九日

(1) 術後、八月一七日から二二日までは、一日あたり抗生剤セフメタゾン二グラムとパニマイシン五〇ミリグラムをそれぞれ点滴により投与し、適宜パニマイシンを創部に粉末のまま、あるいは生理食塩水に溶かして散布するなどした。

(2) 八月二一日と二二日に三八度の発熱があったが、一七日の手術後、両手の手術部位の状態は良好であって右発熱が手術部位からの発熱とは考え難かったため、尿路感染症を疑い、二三日に尿検査を行った結果、蛋白、潜血を伴う尿混濁を認めたため、直ちに尿細菌検査を行い(後日判明した検査結果は陰性)、泌尿器科に往診を依頼した。

また、パニマイシンによる腎機能障害の可能性も考えられたため、パニマイシンの投与を中止し、セフメタゾンに代えて二四日からグラム陽性菌及び陰性菌に抗菌スペクトラムを有するフルマリン二グラムを一日あたり二回投与した。

(3) 八月三〇日のガーゼ交換時に初めて黄緑色の滲出液と刺激臭があったため、緑膿菌感染を疑い、細菌学的検査に出すとともに緑膿菌に対して有効とされるゲンタシン軟膏を創部に塗布し、九月一日からは同じく緑膿菌に有効なモダシン一グラムを一日あたり二回投与に変更した。なお、この間、パニマイシンの創部への散布も併用した。

その後、滲出液量に減少傾向が見られ、刺激臭も軽度となった。

(4) 九月四日細菌学的検査の結果により前記植皮部から緑膿菌及び腸球菌が検出されたことが判明したため、感受性テストの結果、感受性の認められた抗生物質ペントシリン二グラムを一日あたり二回投与に変更した。

その後、九月六日の時点で刺激臭及び黄緑色滲出液はほぼ消失した。

なお、ペントシリンについても創部に直接散布する方法を併用した。

(三) 九月一〇日から九月二五日

(1) 九月一〇日右手に皮弁切離術、左手に小指断端形成術を施行する際、圧挫創部(特に左手掌縫合部、母指中手骨指節間関節部、右手皮弁部など壊死部)の除去を行った。

(2) 九月二一日にはクーパーを用いて右母指と示指の壊死組織を廓清した。

(3) 九月一〇日から二五日の間もペントシリン二グラムを一日二回投与するとともに、ペントシリンの創部への散布も併用した。二二日の時点で滲出液はマイナスであった。

(四) 九月二六日

(1) 滲出液がほぼ消失する一方、壊死部も明らかになったことから、今後の感染予防のために細菌の培地となり得る壊死部を除去するとともに、その後の有効確実な着床を図るべく有茎植皮術を実施することとなった。

(2) 麻酔完了後、ヒビテン液で十分洗浄した後、左手掌・左小指切断部・左母指と示指の間・右手掌・右中指遠位指節間関節・右環指中手指節間関節遠位・右小指近位指節間関節遠位の各部を重点的に壊死組織除去の上、前回手術の右手有茎植皮と母指の移行部で切離し、指節間関節遠位の回旋を補正してC―銅線で固定するなど対立位保持のための処置を取った後、右手について左胸部有茎植皮術を、左手について左腹部有茎植皮術を施行した。

(五) 九月二七日から一〇月一日

(1) 九月二六日の手術後、二八日に39.4度の発熱があったため、同日からペントシリンの投与と並行して感受性テストで緑膿菌に有効とされたアミカシン二〇〇ミリグラムの追加投与を開始し、二九日以降はペントシリン二グラムを一日あたり三回投与に増量した。その結果、二九日は39.4度、翌三〇日は38.1度となり、解熱に向かっていった。なお、請求原因2の(七)の九月二七日以後の発熱については、正確には、同日は最高38.5度、二八日は最高39.5度、二九日は最高39.4度、三〇日は最高38.1度であった。

(2) 一〇月一日午後一〇時ころ41.1度の発熱があったため、敗血症を疑い、血液培養検査を実施した(血液培養検査は、翌二日にも実施しているが、検査結果が判明したのはそれぞれ一〇月八日及び一三日であり、その結果はいずれも陰性であった。)

その後、発熱は39.1度、38.3度に下がり、改善傾向が見られた。

(六) 一〇月二日

(1) 午後三時二〇分ころから軽度の呼吸困難が見られ、午後三時三〇分に痙攣発作と意識障害が出現した。森岡医師が診察したところ、瞳孔右=左右ないし六ミリメートル正円同大、対光反射マイナス、左右眼振著明、項部硬直マイナス、ケルニッヒ徴候マイナス、膝蓋腱反射・アキレス腱反射減弱、下肢自発運動十分あり、下肢足趾冷たい、肺音は弱いが雑音マイナス、下腿浮腫マイナス、呼吸回数一分あたり二二回・不規則、脈拍一分あたり一四〇・整、血圧九二ミリメートル水銀柱であった。

(2) 森岡医師は、エンドトキシンショックを疑って輸液を行うこととしたが、末梢静脈が虚脱していたことから、鎖骨下静脈穿刺により中心静脈の確保を試みた。その際、孝が突然寝返りを打つようにして上体を起こしたため、穿刺を中断後その身体を拘束した上、再度右鎖骨下静脈穿刺を行い、中心静脈を確保した。その後、胸部レントゲン検査で右鎖骨下に血腫を認めたため、カテーテルを抜去し、村山医師が右鼠径部から改めて中心静脈を再確保した。

(3) 午後四時三〇分ころから眼振上下方向、瞳孔右=左七ミリメートル、対光反射マイナス、呼吸回数一分あたり二四回で不規則性が憎悪し、さらに嘔吐が見られたため、気管内挿管を行って気道を確保した。血圧は一〇〇ミリメートル水銀柱であったが、四肢は冷たかった。腰椎穿刺を施行して髄液を採取したが無色透明であり、異常は認められなかった。また、頻脈があったものの心電図や呼吸状態にも著変がなかった。

そこで、頭蓋内病変の検索のため、午後七時ころCT室に移動させることとし、孝を乗せたストレッチャーをCT台に横付けしたところ、突然呼吸停止し、心停止状態に至った。

担当医らは、直ちに麻酔科医の応援を求めるとともに人口呼吸及び心マッサージを行い、ボスミン四アンプル、メイロン五アンプル、塩化カルシウム一アンプルの静注、ノルアド三アンプルの挿管チューブへの注入を試みたが、心電図上に反応がなかったので、さらに麻酔科医到着後にボスミンを三一アンプル(総量で三五アンプル)の大量静注を行ったが、なお心電図上に何らの反応が示されず、午後七時五七分死亡と判定した。なお、CTスキャンについては右蘇生措置を講じた後実施したが、異常は見られなかった。

(4) 孝の死亡については、頭部CTに異常を認めず、突然かつ全く蘇生不能の心停止が不可解であり、死因の特定ができなかったため、被告病院病理学第一講座で病理解剖をした結果、両肺無気肺(ただし、左肺一部換気)、(敗血症性)脳内小血管炎、脳浮腫、感染脾、全身うっ血傾向、右鎖骨窩血腫、右胸水の各剖検診断が示された。

3  請求原因3の事実(孝の死亡原因)は否認する。

(一) 敗血症については、一〇月一日及び翌二日の血液培養検査の結果は陰性であり、臨床症状に照らしても孝が敗血症に罹患していたものと直ちに断定することはできない。

(二) 鎖骨下静脈穿刺後の胸部レントゲン検査で鎖骨下血腫が認められ、また、解剖時に七〇〇ミリリットルの血性胸水の存在が認められているが、鎖骨下血腫が鎖骨下静脈穿刺によるものであるとしても、さらに血性胸水まで鎖骨下静脈穿刺によるものであると断定することはできない。

また、血性胸水が鎖骨下静脈穿刺に基づくものであるとしても、左肺はほぼ全体が換気可能であり、右肺も一部換気可能であったこと、七〇〇ミリリットル程度の血性胸水によって呼吸不全を来すような著明な無気肺を招来するとは到底考えられないことによれば、血性胸水が原因で無気肺による呼吸不全が生じたものとは考えられない。

そもそも呼吸困難は、意識障害や嘔吐とともに、穿刺以前から生じていたのだから鎖骨下静脈穿刺に基づく無気肺によって呼吸停止、心停止が生じたものとは認められない。

(三) 死亡原因究明のために行われた病理解剖結果においては、無気肺を主病変とし、副病変として脳血管炎、脳浮腫、感染脾、全身うっ血、右鎖骨下血腫、右胸水の各剖検診断がなされているが、いずれも死亡原因としてみるときは、突然の呼吸停止と全く蘇生不能の心停止が同時に生じるという臨床的経過と符合しないため、結局、突然死と診断されており、死亡原因の特定はできないと言わざるを得ない。

4(一)  請求原因4(被告の責任)の冒頭部分につき、八月一七日被告が孝との間で診療契約を締結し、以後被告病院の担当医らが被告の履行補助者として孝に対する診療行為を行った事実は認め、右担当医らの診療に不適切な点があった事実は否認し、損害賠償責任に関する主張は争う。

(二)  同4の(一)(適切な感染症対策を行わず、敗血症に罹患させた注意義務違反(過失))の(1)の前段、九月二六日に有茎植皮術を行った事実は認め、その余は否認ないし争う。

(1) 無菌化の困難性

孝の創部は、著しく汚染された高度の剥脱挫滅を来していたのであって、十分な洗浄、消毒、デブリードマンを施行しても、これを無菌化することは不可能であったのであり、皮膚にはもともと常在する細菌叢があって、緑膿菌感染は、菌拮抗作用や薬剤による常在菌叢の乱れにより、皮膚細菌叢内の均衡が崩れることによって生じる複雑な菌交替現象の結果なのであり、感染すなわち失敗という考え方は妥当ではない。

(2) 洗浄、消毒、デブリードマンの履行

前述のとおり、八月一七日の受傷当日には術前措置としての洗浄、消毒、デブリードマンを施行しているし、術中にもデブリードマンを行っており、この間に生理食塩水五〇〇ミリリットルのボトル四〇本ほどを使用して徹底した洗浄、消毒、デブリードマンを履行している。

その後も毎日のガーゼ交換、ヒビデン液やイソジン液による消毒、抗生剤の創部への散布あるいは塗布、ガーゼ交換の際の創の観察などを行い、状況に応じて二回目の消毒も適宜行っており、デブリードマンについてもガーゼ交換時の消毒の際に壊死組織を除去するようにしているほか、九月一〇日の右手皮弁切離、左手小指断端形成術の施行、二一日の右母指・示指部壊死組織廓清、二六日の有茎植皮術の施行の際に十分なデブリードマンを行っている。

そもそも九月二六日の手術の本来の目的は、感染の培地となり得る壊死部の除去にあり、壊死部除去後の創閉鎖の方法として、右除去により骨、関節、腱など重要組織が露出してしまうことから、このような場合でも除去部に良好な血行を確保でき、したがって抗生剤を有効に機能させ得る有茎植皮術を行ったのであり、当然に有茎植皮術の施行に先立ち、十分な壊死組織の除去が行われている。

(3) 適切な抗生剤の使用

ア 前述のとおり、八月一八日から二三日までの間は、一日あたりセフメタゾン二グラムとパニマイシン五〇ミリグラムをそれぞれ二回使用したが、汚染創処置後の創感染の起炎菌の主体はグラム陽性球菌であるブドウ球菌であることから、同菌に有効で広域スペクトラムを有する第二世代のセフェム系の薬剤であるセフメタゾンを選択し、同抗生剤で補いきれない部分を満たすため、緑膿菌などに有効であるパニマイシンを併用した。

イ 八月二四日から三一日までの間は、二三日の尿検査の結果、尿混濁を認めたため、セフメタゾンに代えてグラム陽性菌のみならずグラム陰性菌にも抗菌スペクトラムを有するフルマリンを使用し、また、パニマイシンによる腎機能障害も疑われたため、パニマイシンの投与を中止した。その結果尿混濁は消失した。

ウ 八月三〇日のガーゼ交換時に黄緑色の滲出液と刺激臭があったため、緑膿菌に対しても有効とされるゲンタシン軟膏を塗布し、九月一日からは緑膿菌に有効なモダシン一グラムを一日あたり二回投与に変更し、パニマイシンの創部への散布も併用した。

エ 九月四日細菌学的検査の結果により緑膿菌及び腸球菌が検出されたことが判明したため、六日以降緑膿菌等に感受性の認められたペントシリン二グラムを一日あたり二回投与に変更した。その結果、六日の時点で刺激臭及び黄緑色の滲出液はほぼ消失した。

オ 九月二六日の有茎植皮術の施行以後、発熱があったため、二八日からはペントシリンの投与と並行してアミカシン二〇〇ミリグラムの追加投与を開始し、二九日からはペントシリン二グラムを一日あたり三回投与に増量した。

カ 以上のとおり、孝に対して行われた抗生剤の投与は、その各時期における孝の全身状態や創の状況に応じていずれも適切になされている。

(三)  同4の(二)(無気肺を生じさせた注意義務違反(過失))の(1)の前段は一般論として認め、その余は争う。

仮に、鎖骨下血腫あるいは血性胸水が鎖骨下静脈穿刺により生じたものであるとしても、その原因は孝が刺針刺入中に突然寝返りを打つように激しく身体を動かしたことによるものである。森岡医師は、孝が意識喪失状況にあること、鎖骨下静脈穿刺に先立つ浸潤麻酔のための注射針刺入に伴う痛覚刺激に対しても全く反応を示さなかったことを確認した上で、鎖骨下静脈穿刺のため穿刺針刺入を行っていることに加え、緊急往診依頼を受けて直ちに整形外科に赴き、必要な検査及び処置の指示をなし、第三内科への緊急転科及び人工呼吸器の準備の手配などを依頼するとともに、孝が緊急重篤な状態にあると判断して第三内科への転科前に中心静脈確保のために鎖骨下静脈穿刺を行ったものであり、右のとおり、鎖骨下静脈穿刺が患者救命のための緊急事態下で行われた措置であることを考慮すれば、右血腫あるいは血性胸水の発生は不可抗力であったというべきである。

(四)  同4の(三)(説明義務違反)は否認ないし争う。

孝の症状は、九月二六日の有茎植皮術の施行時まで順調に推移しており、有茎植皮術の施行によって孝の生命に危険を生じさせるような状況にはなかったため、生命の危険性あるいは手指の切断について説明しなかっただけであり、かかる場合、手術前にその急変を予測して患者家族に右説明をすることは不可能であり、通常起こり得ない事柄に関しては説明義務は課せられないというべきである。

5  請求原因5(損害)のうち、孝が昭和四五年九月二四日生まれの男子であり、六七歳まで就労可能であったことは認め、その余は不知ないし否認する。

三  抗弁(損益相殺)

孝の死亡に伴い、原告らは孝の勤務先であった山口鋼業株式会社から金五〇〇万円を受領しているが、右金員は金額的に見て損害賠償金であることが明らかであるから損益相殺されるべきである。

四  抗弁に対する認否

争う。

第三  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1の事実(当事者)は、当事者間に争いがない。

二  請求原因2(診療経過)について

当事者間に争いのない請求原因2の事実並びに証拠(成立に争いのない乙第一、第二号証、証人森秀樹、森岡康夫、西本博文の各証言、原告恭孝本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

1  八月一七日

(一)  孝は、勤務先である山口鋼業株式会社で就労中の午後〇時一〇分ころ、鋼材を圧延する高熱のローラー式金属プレス機に両手を挟まれて両手圧挫創の傷害を負い、午後〇時四〇分ころ救急車で被告病院に搬送された。

孝の両手は、被告病院に搬送された時、高度の剥脱挫滅を来し、受傷時に着けていた手袋の繊維やローラーの機械油様などにより著しく汚染されていた。孝の両手圧挫創の状態は次のとおりであった。

左手 手掌皮膚は手関節から基節骨近位端までグローブ状に剥離。

環指末節骨部不全挫断。

母指掌側の皮膚欠損。

小指中手骨骨頭骨折、皮膚挫滅。

右手 手背・母指・示指・中指基節骨から中節骨までの皮膚欠損及び筋挫滅。

環指橈側も同様。

示指・中指皮下組織まで深く欠損し、一部では示指基節骨まで達した。

(二)  被告病院救急部では、血圧、呼吸数、脈拍などのバイタルサインのチェック、両手に付着していた手袋の繊維の除去、イソジン液、ヒビデン液による消毒、疼痛対策のための鎮痛剤ペンタジンの投与及び局所麻酔剤一パーセントキシロカイン一〇ミリリットルによる両腋窩神経及び腕神経叢ブロックの施行、抗生剤テストにより適応の認められたフルマリン、セフメタゾンの投与などの処置が行われ、午後二時ころ被告病院の整形外科に送られ、同科に入院し、西本医師が孝の主治医となった。

(三)  整形外科では、午後二時四五分ころから緊急手術のため麻酔を開始し、麻酔完了後、右手の圧挫創については、ヒビテン液によるガーゼ、ブラシを用いた洗浄、消毒、右上肢を駆血して行う壊死組織、挫滅組織の切除、生理食塩水による再度のブラッシングの各処置の後、午後四時五五分ころから母指末節骨遠位部並びに示指及び中指の基節骨遠位部から中手骨近位部までの部分を右腹部の有茎皮弁で被覆し縫合する有茎植皮術が施行され、その後、縫合の際に余った腹部の皮膚を切離して中指中節骨遠位部、環指基節骨遠位部の皮膚欠損部に植皮する遊離植皮術が施行された。

左手については、ヒビテン液による洗浄、汚染された挫滅組織の除去の後、縫合による創閉鎖が行われた。

(四)  前項の手術を終えた時点で、右手については感染が、左手については母指、示指、小指の壊死が懸念されたが、被告病院整形外科においては、手指の機能再建を目的として治療に臨むこととした。

2  八月一八日から九月九日

(一)  八月一八日右手に黄色の滲出液が多量に、左手には多量の出血が認められ、一九日には右手の植皮部、橈骨側の色がくすんでいることが認められた。二〇日及び二五日に採取した血液によるCRP検査(C反応性タンパク検査)の値は、それぞれ13.2と2.59であり、手術後の検査であることを考慮しても、いずれも正常値(0.4未満)を大きく逸脱するものであった。

この間、八月一八日から二二日までは、一日あたり抗生剤セフメタゾン二グラムとパニマイシン五〇ミリグラムがそれぞれ二回点滴により投与されたが、二一日と二二日に三八度を越える発熱があり、右各抗生剤の適応性に疑問が生じたこと、二三日には蛋白、潜血を伴う尿混濁が認められ、パニマイシンによる腎機能障害の可能性も疑われたことから、二四日からはパニマイシンの投与が中止されるとともに、セフメタゾンに代えて抗生剤フルマリン二グラムが一日あたり二回投与された。

もっとも、右尿混濁はバルーン留置カテーテルによる刺激のためであると認められ、また、右の通りの抗生剤の変更後も三七度から三八度を越える発熱が続いた。

(二)  八月三〇日右手に刺激臭を伴う黄緑色の滲出液が多量に認められ、研修医である西本医師は担当教授から感染に対する処置を的確に採るよう指示を受けた。九月三日には呼吸困難があり、翌四日には八月三〇日に採取した膿の細菌検査の結果報告により緑膿菌及び腸球菌に感染していることが判明した。

そこで、九月一日からは、緑膿菌等に有効なモダシン一グラムを一日あたり二回投与に抗生剤が変更されるとともに、パニマイシンの創部への散布がなされ、六日からはモダシンに代えて、感受性テストの結果、最も感受性の認められた抗生剤ペントシリン二グラムを一日あたり二回投与に変更され、また、ペントシリンの創部への散布も併用された。

その結果、発熱は徐々に減退し、四日以後は、多少の例外はあるものの、三七度未満の平熱が続いた。また、右手の滲出液及び刺激臭も徐々に減少し、六日には消失した。

(三)  孝の両手に対しては、毎日のガーゼ交換の際、イソジン液、ヒビテン液などによる洗浄、消毒が行われていたが、八月一七日の手術の翌々日である一九日から壊死の徴候が認められ、その後、前項の抗生剤の変更の前後を通じて、両手各部に壊死が進行し、九月一〇日の時点では、左手について小指の中手骨指節関節遠位全部及び近位部尺骨側部分、手掌の縫合部(特に、手掌の近位部から橈側にかけての部分、母指部、示指の遠位指節関節以遠部)、右手について皮弁部の遠位側にそれぞれ顕著な壊死が生じていた。

3  九月一〇日から九月二五日

(一)  九月一〇日麻酔完了後、前項記載の顕著な壊死部を中心に、ヒビテン液によるブラシ、ガーゼを用いた消毒、壊死部の除去が行われ、右手につき八月一七日に右腹部に植皮した部分を切離する皮弁切離術が、左手につき小指を離断する小指断端形成術がそれぞれ施行されたが、一一日のCRP値は2.95と高く、同日からも壊死が認められ、一三日の時点で、左手については一〇日に生じていた壊死部とほぼ同じ部分に顕著な壊死が、右手については示指及び中指の有茎皮膚移植部並びに環指及び小指の近位指節関節部に壊死ないし壊死の傾向がそれぞれ認められた。

九月二一日には右手に緑黄色の滲出液が認められて、感染の可能性が疑われ、右手の母指と示指の間の壊死部の切除がクーパーを用いて行われた。

(二)  九月一〇日から二五日までの間もペントシリン二グラムが一日あたり二回投与され、二一日と二二日にはペントシリンの創部への散布も行われ、その結果、二一日に認められた右手の滲出液は消失した。

(三)  この間、体温についてはほぼ平熱が続いているが、毎日疼痛を訴え、鎮痛のための薬剤の投与が行われた。

4  九月二六日

(一)  九月二六日の時点では、右手については母指中手遠位部、中指遠位指節間関節遠位部、環指の中手から遠位指節関節までの部分、小指の近位から遠位指節関節までの部分が、左手については手掌の母指中手指節部橈側、近位部尺側、小指の切断部から手背にかけての部分、環指の遠位指節間関節末節骨に顕著な壊死が認められた。

(二)  同日麻酔完了後、ヒビテン液によるブラシ、ガーゼを使用した洗浄並びに左手掌、左小指切断部、左母指と示指の間、右母指と示指の間、右手掌、右中指遠位指節関節遠位部、右環指中手指節関節遠位部及び右小指近位指節間関節遠位部の各部に重点をおいた壊死組織除去が行われ、右母指をC―銅線で固定するなどの手指再建のための処置後、右手については母指、中指、環指及び小指の前項記載の壊死部の左胸部への有茎植皮術が、左手については手掌、母指及び母指示指間の左腹部への有茎植皮術がそれぞれ施行された。

5  九月二七日から一〇月一日

(一)  九月二六日の手術中は、むしろ体温の低下が懸念されていたが、翌二七日から発熱し、二七日以後の最高体温は、同日38.5度、二八日39.5度、二九日39.4度、三〇日38.1度、一〇月一日41.1度であり、右各最高体温と当日の最低体温との差は、少なくとも一度以上は生じており、三度を越える体温差が生じた日もあった。

この間、疼痛や悪寒を強く訴え、二九日には右手掌側の創部に緑色のガーゼ汚染が、三〇日には右部分から刺激臭が認められ、一〇月一日午後八時ころには悪寒、戦慄が著明になり、午後九時ころには頭痛、吐き気、倦怠感も著明となり、午後一〇時には41.1度の発熱が生じた。

(二)  なお、九月二八日からペントシリンの投与と並行して抗生剤アミカシン二〇〇ミリグラムの追加投与が開始され、二九日以降はペントシリン二グラムを一日あたり三回投与に増量された。

6  一〇月二日

(一)  午前一〇時ころ、右手創部のガーゼ一面に緑ないし水色の汚染が認められ、悪寒、戦慄が著明で、一分間に三〇回と頻呼吸が認められ、頭痛及び胸部不快を強く訴えた。体温は午前一〇時37.1度であったが、三〇分後の午前一〇時三〇分には39.1度に上昇し、午後二時には36.9度に下がったものの、午後三時二〇分ころ、頻呼吸とともに軽度の呼吸困難が見られ、午後三時三〇分に痙攣発作とともに意識を消失した。

(二)  被告病院内科医森岡医師は、整形外科から緊急の往診依頼を受け、午後三時四〇分ころから整形外科病棟で孝を診察したが、その際の孝の状態は、痙攣は治まっていたものの、呼名に対して反応せずに体を動かしている、いわゆる不穏状態であり、瞳孔は散大し、対光反応が認められず、左右の眼振が著明であり、また、血圧は右下肢の触診で九二ミリメートル水銀柱、呼吸回数は一分間に二二回と頻呼吸気味で不規則であり、脈拍は一分間一四〇と頻脈であった。

(三)  森岡医師は、エンドトキシンショックを疑い、抗生剤チエナム、ステロイドを投与した上、輸液を行うため、末梢静脈が虚脱していたことから、仰臥する孝の右鎖骨上窩から穿刺を行う方法による鎖骨下静脈穿刺により中心静脈の確保を試みたが、その際、孝が突然寝返りを打つようにして、上体を水平面に対して三〇度から四五度くらい折り曲げるようにして起き上がったため、直ちに針を抜去して、穿刺部からの出血に対し五分から一〇分位ガーゼで圧迫止血を行い、再度中心静脈確保のための鎖骨下静脈穿刺を行ってカテーテルを固定した。

その後、輸液の滴下が徐々に不良となり、カテーテルの位置を確認するために撮影した胸部レントゲン写真により右鎖骨下に血腫が認められたことから右カテーテルは抜去され、被告病院内科医村山医師により右鼠径部から中心静脈が確保された。

(四)  この間、午後四時三〇分ころからは、呼吸の不規則性の憎悪、嘔吐が見られ、四肢は冷たくチアノーゼが認められ、気管内挿管による気道確保が行われた。

(五)  午後六時前、一度うわごとのように痛みを訴えたが、呼名反応はみられず、呼吸状態は悪化し、脈微弱が認められた。

呼吸状態の悪化に対処するためジャクソンリースによる補助措置を講ずるなどして気道確保に努めた結果、一時、鼠径部でしか認められなかった脈が上腕で血圧測定ができるまでに回復し、弱いながらも自発呼吸が認められた。

(六)  午後六時三〇分ころ髄膜炎の検査のため腰椎穿刺が行われ、午後七時ころ頭蓋内病変の検索のため病棟を出てCT室に移動し、CT台に乗せようとしたところ、孝は呼吸停止及び心停止状態となった。

担当医らは、直ちに麻酔科医の応援を求めるとともに人口呼吸及び心マッサージを行い、ボスミン四アンプル、メイロン五アンプル、塩化カルシウム一アンプルの静注、ノルアド三アンプルの挿管チューブへの注入を試みたが、心電図上に反応がなく、さらに麻酔科医到着後にボスミンを三一アンプル(総量で三五アンプル)の大量静注を行ったが、なお心電図上に何らの反応が示されず、午後七時五七分死亡と判定された。

(七)  なお、一〇月一日と二日に採取した動脈血及び二日に採取した尿の細菌培養検査の結果はいずれも陰性、二日に採取した膿部のガーゼ及びタンポンの細菌検査の結果は陽性(緑膿菌、腸球菌)であり、右結果は孝の死亡後に判明している。また、二日のCRP値は10.3、酸素分圧の値は137.8(正常値は八五〜一〇五)であり、いずれも正常値を大きく越えるものであった。

二日の髄膜炎検査及び同日孝の死亡後に実施された頭部CTスキャンには異常は認められなかったが、血液検査の結果、血液像に敗血症を強く示唆する所見がみられた。

(八)  翌三日、岐阜大学医学部病理学教室で病理解剖が行われ、その結果、両肺無気肺(ただし、左肺一部換気)、(敗血症性)脳内小血管炎、脳浮腫、感染脾、全身うっ血傾向、右鎖骨窩血腫、右胸水の各剖検診断が示された。

三  請求原因3(孝の死亡原因)について

1  敗血症について

(一)  証人森岡康夫、西本博文の各証言及び弁論の全趣旨によれば、以下のとおり認められる。

(1) 敗血症とは、細菌がリンパ流から血中に入り全身に播種されて新たに移転性の感染巣をつくる重篤な細菌感染症であり、しばしば細菌が産出するエンドトキシンの作用によって血行動態に異常を来し、ショック状態を引き起こす(南山堂・医学大辞典・一五二九頁参照)。

(2) ショックとは、心拍出量の低下や血管の虚脱により十分な血流が得られないことによって生じる重要諸臓器の不可逆の変化を指す臨床用語であり、エンドトキシンショックとは、細菌(特にグラム陰性桿菌)の細胞壁にある内毒素が感染巣から血液中に漏れて全身に回ることによって生じるショックを言う。

(3) エンドトキシンショックの死亡率は約六〇パーセントで、起炎菌が緑膿菌である場合及びショックによる意識障害を生じている場合には、死亡率はさらに高くなる。

(4) 敗血症の診断基準となる症状として、高熱、頻呼吸、頻脈、意識低下、悪心、嘔吐、悪寒、戦慄などが挙げられる。

(二)  そこで判断するに、前記二認定の事実よりみると、孝は、九月二六日の有茎植皮術施行以降、全身状態に悪化を来したものというべきところ、①その具体的症状は、昇降の激しい発熱、悪寒、戦慄、嘔吐、頻呼吸、頻脈、意識障害など敗血症を疑わせるものであり、一〇月二日午後三時四〇分ころから孝を診察した森岡医師は、孝の臨床症状からエンドトキシンショックを疑っている。また、②孝の手創部からは八月三〇日に緑膿菌等が検出されているところ、九月二六日の有茎植皮術の施行後も緑膿菌を原因とするものと思われるガーゼ汚染及び刺激臭が認められ、また、一〇月二日に採取された膿部のガーゼ及びタンポンからも緑膿菌等が検出されていること、③一〇月二日のCRP値は正常値をはるかに越えるものであり、同日の血液検査の結果、血液像に敗血症を強く示唆する所見がみられたことは明らかである。これら事実に④前掲乙第二号証及び証人森秀樹の証言によれば、敗血症は、病理学的には、腎臓、心臓、肝臓等の諸臓器に好中球あるいは炎症の存在が認められる場合を指すものであるところ、一〇月三日に行われた病理解剖において、右諸臓器には右のような異常は認められなかったが、他方、脳幹部を含む脳内の広範な部分の血管の周囲に細菌感染によるものと推定される好中球及び炎症の存在が認められ、脳内血管に細菌感染を示唆する所見が存したことから、解剖医らは、病理学的見地からは典型的な敗血症には当たらないが、臨床経過からしても細菌感染が疑われると判断し、右脳内の異変を「(敗血症性)脳内小血管炎」と診断したと認められることを併せ考えると、九月二六日有茎植皮術施行後の孝の全身状態の悪化は、緑膿菌等を起炎菌とする重篤な細菌感染を原因とするものであり、孝は、未だ典型的な敗血症に罹患していたとは言えないが、敗血症の傾向を有する重篤な細菌感染症に罹患していたものと認められる。

なお、証人森岡康夫及び西本博文の各証言によれば、抗生物質による治療を受けている場合には、敗血症に罹患していても細菌培養検査の結果が陰性になることがままあると認められるから、一〇月一日と二日に採取された動脈血及び二日に採取された尿の細菌培養検査の結果がいずれも陰性であったことは、右認定を左右するものではない。

2  無気肺について

(一)  解剖結果

前掲乙第二号証及び証人森秀樹の証言によれば、一〇月三日に行われた病理解剖の結果として、右鎖骨下に直径約一〇センチメートル大の血腫、右側胸腔に約七〇〇ミリリットルの血性胸水が存在したこと、右血腫は壁側胸膜の上に近接して存在したこと、右肺については、浮沈検査の結果は、中葉及び下葉が沈み、上葉が浮きであり、中葉及び下葉を中心に顕著な無気肺が存在したこと、左肺については、浮沈検査の結果は全体として浮いていたが、下葉には一部無気肺化の傾向が存在したこと、以上の所見が認められる。

なお、病理解剖記録(乙第二号証)には「両肺無気肺………但し左肺一部換気」との剖検診断が記載されているが、証人森秀樹の証言によると、病理解剖の結果に照らせば右記載よりも「右肺無気肺、但し左肺一部無気肺化傾向」との表現がより適切であったものと認められる(以下、右肺の中葉及び下葉を中心に存した顕著な無気肺と左肺の下葉に存した一部無気肺化傾向とを総称して「本件無気肺」という。)。

(二)  右鎖骨下血腫

まず、右鎖骨下血腫については、前記認定のとおり一〇月二日鎖骨下静脈穿刺開始後、孝の突然の体動により一旦穿刺針を抜去したことがあり、また、再度の穿刺後に撮影した胸部レントゲン写真にも右鎖骨下に血腫が認められていることからすると、右鎖骨下静脈穿刺開始後、孝の体動により、予定と異なる方向あるいは深さに穿刺針が刺入され、その結果、右鎖骨下血腫が生じたものと認められる(この認定に反する証拠はない。)。

(三)  右側血性胸水

(1) 次に、成立に争いのない乙第七号証によれば、血腫のみならず血胸も、鎖骨下静脈穿刺の一般的な合併症であると認められるところ、血性胸水は、血腫の生じた右鎖骨下に近い右側胸腔のみに存し、左側胸腔には生じていないこと、本件全証拠によるも、穿刺以外に血性胸水をもたらした原因は、格別窺われないこと(なお、証人森岡康夫は、解剖時の大血管損傷による死後流入の可能性を示唆する証言をしているが、証人森秀樹の証言に照らして右証言は採用できない。)、以上によれば、右側胸腔に生じた約七〇〇ミリリットルの血性胸水も、右鎖骨下血腫と同様、右鎖骨下静脈穿刺によって生じたものと認めるのが相当である。

(2) この点、証人森岡康夫は、胸腔内に穿刺針が刺入されていない場合は、穿刺を原因とする血胸は生じないこと、穿刺針が胸腔を穿破した場合は、気胸が生じる反面、血腫は生ぜず、血液は液体のまま胸腔内に流入すること、以上の知見を前提に、本件では、気胸は生じておらず、かつ、血腫が生じているから、穿刺針による胸腔穿破の事実は認められず、したがって、血性胸水の原因は鎖骨下静脈穿刺ではない旨証言するが、右知見の正当性、ないしは、その蓋然性が高いことを認めるに足りる的確な証拠はなく、したがって、右証言によるも前記認定を覆すに足りない。

なお、証人森秀樹の証言に照らすと、血性胸水は、穿刺直後に生じるとは限らず、むしろある程度の時間をかけて徐々に生じることもままあると言えるから、穿刺後間もないころに撮影されたレントゲン写真に血性胸水が認められなかったとしても、前記認定を左右するものではない。

(四)  無気肺

(1) 成立に争いのない乙第四号証によれば、無気肺は、閉塞性の無気肺、圧追性の無気肺及び収縮性の無気肺に分類され、圧迫性の無気肺は、気胸、水胸、血胸などにより肺葉の一部または全部が圧迫されて、肺内空気量が減少することを機序として生じるものと認められるところ、これに、右側血性胸水の存在、血性胸水が認められなかった左肺には下葉に一部無気肺化傾向が存するにすぎない反面、血性胸水が存在した右肺には中葉及び下葉を中心に顕著な無気肺が存したこと及び証人森秀樹の証言を総合すれば、孝の右肺に生じた中葉及び下葉を中心とする顕著な無気肺は、右側血性胸水によって生じた圧迫性の無気肺であると認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2) 反面、左肺の一部無気肺化傾向については、これが鎖骨下静脈穿刺の際に生じた鎖骨下血腫あるいは血性胸水によって生じたものであると認めるに足りる証拠はない。鎖骨下血腫及び血性胸水がいずれも右肺側にのみ存在し、左肺側には認められなかったことに照らせば、左肺の一部無気肺化傾向が鎖骨下血腫あるいは血性胸水によって生じたものとは認め難く、本件全証拠によるも孝に生じた左肺の一部無気肺化傾向の原因を特定することはできない。

3  死亡原因について

(一)  前記認定のとおり、孝は、九月二六日有茎植皮術施行以降全身状態の悪化を来し、一〇月二日午前一〇時ころには頻呼吸が認められ、同日午後三時二〇分ころには頻呼吸とともに軽度の呼吸困難を訴え、その後も気管内挿管による気道確保の前後を通じて呼吸の不規則性の憎悪など呼吸状態は悪化し、死亡直前に一時自発呼吸が見られたものの、同日午後七時ころCT室において呼吸停止及び心停止状態となり死亡している。

かかる臨床経過に、①孝は、九月二六日有茎植皮術の施行後、敗血症の傾向を有する重篤な細菌感染に罹患していたと認められるところ、孝には、一〇月二日午前一〇時ころ(鎖骨下静脈穿刺施行前)から呼吸困難及び頻呼吸が見られたのであるから、敗血症性の呼吸障害ないしは呼吸機能の低下が生じていたと推認できること、②無気肺は換気障害を招く原因となる著変事由であるところ、一〇月二日の酸素分圧が正常値を大きく越えるものであったことに照らせば、孝は、本件無気肺により換気能力の低下を来したと推認できること、③証人森秀樹の証言によれば、病理解剖の結果、心臓の病変など心停止を直接もたらす原因となる病変は確認されておらず、敗血症性の感染症及び本件無気肺の存在以外には死亡に結びつく病変は確認されていないと認められること、さらに④前記認定・判示の敗血症性の感染症及び本件無気肺の発生機序を総合すれば、孝は、緑膿菌等を起炎菌とする敗血症性の重篤な細菌感染による呼吸障害ないしは呼吸機能の低下並びに左肺の一部無気肺化傾向及び鎖骨下静脈穿刺によって生じた右側血性胸水を原因とする右肺無気肺(右肺の中葉及び下葉を中心に生じた顕著な無気肺)による換気能力の低下、以上を原因とする呼吸不全により、呼吸停止及び心停止状態となり死亡したものと推認できる。

(二)(1)  この点被告は、左肺はほぼ全体が換気可能であり、右肺も一部換気可能であって、七〇〇ミリリットル程度の血性胸水によって呼吸不全を招来するような無気肺は生じないとして、かかる程度の血性胸水ないしは本件無気肺から呼吸不全が生じたものとは考え難いと主張するが、右主張は、孝に生じた血性胸水ないしは本件無気肺が、それのみによって呼吸不全を招来する可能性が低いことを推認させるにすぎず、前提として敗血症性の呼吸障害ないしは呼吸機能の低下が生じていたことに照らせば、右認定を左右するものではない。

(2) また被告は、呼吸困難は鎖骨下静脈穿刺以前から生じていたのだから、鎖骨下静脈穿刺に基づく無気肺によって呼吸停止、心停止が生じたものとは認められないと主張するが、呼吸困難が鎖骨下静脈穿刺以前から生じていたことは、敗血症性の呼吸障害が生じていたことを推認させる事実となり得るにしても、本件無気肺による換気能力の低下が呼吸不全の一因になったとの前記認定を左右するものではない。

(3) さらに被告は、前記認定の死亡原因は、突然の呼吸停止及び全く蘇生不能の心停止が同時に生じたとの臨床的経過に符合せず、孝の死亡は、死亡原因の特定ができない突然死というほかないと主張する。

しかしながら、前記認定の死亡に至る臨床経過に照らせば、孝は突然呼吸停止に至ったとはいえず、むしろ九月二六日の有茎植皮術の施行後に生じた全身状態の悪化の中で、ことに一〇月二日午前一〇時ころから呼吸状態の悪化も進行し、最終的に呼吸停止に至ったものと認められ、また、呼吸不全の背景に敗血症性の重篤な細菌感染症が存したことを考えれば、全く蘇生不能の心停止が呼吸停止とほぼ同時に生じることも否定し得ないものと考えられる(この判示を覆すに足りる的確な証拠はない。)。

そして、被告の主張には右のとおり疑問があるところ、前記認定・判示のとおり、臨床経過及び病理解剖の結果に照らし、呼吸不全に直結する病変の存在が認められるのであるから、孝の死亡が死亡原因の特定ができない突然死であるとの主張は採用できない。

四  請求原因4(被告の責任)について

1  八月一七日孝と被告との間で診療契約が締結され、以後被告病院の担当医らが被告の履行補助者として孝に対する診療行為を行ったことは当事者間に争いがない。したがって、被告病院の担当医らは孝に対し、当時の臨床医学の実践における医療水準に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意をもって適切な治療を施行する義務があったというべきである。

2  適切な感染症対策を行わず、敗血症に罹患させた注意義務違反(過失)について

(一)  原本の存在及び成立に争いのない甲第一号証、成立に争いのない乙第八ないし第一〇号証、証人西本博文の証言及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(1) 手の受傷にともなう開放創は、一般に細菌感染を引き起こす原因となるものであり、特に、汚染の著しい高度の剥脱挫滅創については、不潔な創からの感染のおそれが高く、また、挫滅組織の血行障害等による壊死化が進み、壊死組織が感染巣となり重篤な感染症を引き起こすおそれがある。

(2) 右のような感染を防止するためには、創部及び創周辺の体表面並びに創内部を、薬用石鹸やヒビテン液などを使用して、ブラシ、ガーゼなどによりすみずみまで徹底的に洗浄し、創内の残存異物を取り除いて清浄化すること(洗浄)、その上で創部を消毒し(消毒)、さらに感染巣となり得る壊死組織及び壊死するおそれのある血流の乏しい組織等をハサミ、メス等で外科的に切除すること(デブリードマン)が必要である。

特に、細菌が深部に及ばないうちに右各処置を徹底して行った上で適切な創閉鎖を行うことにより、手創部からの感染はほぼ確実に防止できるのであるから、受傷後六ないし一二時間以内の未だ細菌が深部に及んでいないいわゆるゴールデンアワー内に徹底した洗浄、消毒、デブリードマンを行うことが必要であり、ゴールデンアワー内の右各処置が不十分な場合には、その後洗浄、消毒、デブリードマンを十分に行い、また、適切な抗生物質を投与しても予後は不良となる。

(3) 創を適切な方法で閉鎖することは、手指の機能再建を目指す上で必要な処置であるが、洗浄、消毒、デブリードマンが不十分なまま創閉鎖を行うと、起炎菌を閉じ込める結果となり、重篤な創感染を引き起こすことになる。特に、有茎植皮術による創閉鎖は、着床が確実で深部組織の二次的修復が可能であり、手指の機能再建の観点からは極めて有効な処置といえるが、反面、創感染の観点からは、有茎植皮術が複雑な挫滅創に対して施される処置であることから、感染症を引き起こす危険性が高い。

したがって、有茎植皮術による創閉鎖を行う場合には、特に、洗浄、消毒、デブリードマンを十分に行うことが必要となる。

(4) 以上の各処置の他、創感染に対しては、起炎菌に対して感受性を有する有効な抗生物質を全身投与するとともに、創部に散布するなど局所投与することが望ましい。

もっとも、洗浄、消毒、デブリードマンが不十分な場合には、抗生物質を適切に投与しても創感染は防ぎきれないから、抗生物質による対処は、右各処置の補助的なものと位置づけられる。

(二)  洗浄、消毒、デブリードマンについて

(1) 孝の両手圧挫創の状態は、前記二1(一)のとおりであり、高度の剥脱挫滅を来し、手袋の繊維や機械油様などにより著しく汚染されていたのであるから、細菌感染を引き起こす危険性が相当高かったものと認められる。

したがって、かかる高度の剥脱挫滅創に対して、機能再建を目的として治療に臨むこととした被告病院の担当医らは、当然に有茎植皮術などの創閉鎖処置が必要となるのであるから、感染防止を念頭において、有茎植皮術を施行しても重篤な感染症に罹患しないよう、ゴールデンアワー内に十分な洗浄、消毒、デブリードマンを徹底して行い、また、その後も十分な洗浄、消毒、デブリードマンを行うべき注意義務があったというべきである。

(2) 前記三1のとおり、九月二六日有茎植皮術の施行後、緑膿菌等を起炎菌とする敗血症性の重篤な細菌感染の諸症状が孝に現れていることに照らせば、右有茎植皮術施行前(当日のデブリードマン施行後)の孝の状態は、その施行により、右のごとき重篤な感染症が生じる程度に高度の細菌感染を来していたものと認められる。確かに、九月一日に緑膿菌等に有効な抗生物質の投与がなされてからは、発熱は減退し、創部の滲出液や刺激臭も消滅しているが、創部の壊死は絶えず進行し、九月一一日のCRP値は2.95と高く、特に八月一七日に有茎植皮した右手の有茎皮膚移植部の一部にも壊死が見られたのであり、また、現に九月二六日の有茎植皮術施行後、重篤な細菌感染の諸症状が現れていることからすれば、九月一日以後、有効な抗生物質の投与により感染症の発生は抑制されていたものの、細菌感染自体は消失するには至らず、有茎植皮術等の感染症発生のきっかけがあれば、直ちに重篤な感染症が発生する程度に高度な細菌感染の潜伏状態にあったものと認められる。

以上に、手の開放創からの感染は、十分な洗浄、消毒、デブリードマンを徹底して施行すれば、ほぼ確実に防止できるものであり、また、後述のとおり、九月一日以降の抗生物質の投与は、起炎菌に対応した適切なものであったと認められることを併せ考えれば、右のような細菌感染を来した原因は、ゴールデンアワー内あるいはその後の洗浄、消毒、デブリードマンの各処置が十分なものではなかったことにあると推認できる。

反面、八月一七日の受傷後、孝に対して行われた前記二のとおりの洗浄、消毒、デブリードマンの各処置が、孝の創の状況に応じた最善の処置であり、したがって孝に右のような高度の細菌感染が生じたことが、医師として防ぐことのできない止むを得ないものであったと認めるに足りる証拠はない。かえって、デブリードマンにあたっては、現に壊死している部分だけでなく、壊死するおそれがある部位を見極めて、事前に除去することが必要であることは前記認定のとおりであるところ、八月一七日の処置後、翌々日である一九日から右手皮弁部を含む創部の壊死化が進行していること、その後九月二六日の有茎植皮術施行に至るまで、創部の壊死化が絶えず進行していたことに照らせば、右のような配慮の下でデブリードマンがなされていたのか疑問であり、より早期に壊死の虞のある部分を見極めてこれを除去すべきであったと判断される。また、主治医である西本医師自身、同医師に対する証人尋問において、九月二六日の有茎植皮術施行前の孝の状態につき、緑膿菌等に有効な抗生物質に変えてからは感染が強く存在していたわけではない旨述べていることよりみて、孝の感染状況を的確に把握した上で洗浄、消毒、デブリードマンの各処置がなされていたのか疑問がある。右のような疑問に徴すれば、八月一七日の受傷後、孝に対して行われた前記二のとおりの洗浄、消毒、デブリードマンの各処置が孝の創の状況に応じた最善の処置であり、孝に高度の細菌感染が生じたことが医師として防ぐことのできない止むを得ないものであったとまでは認め難い。

(3) 以上によれば、細菌感染を引き起こす危険性の高い著しく汚染された高度の剥脱挫滅創を有する孝に対して、機能再建を目的として治療に臨むこととした被告病院の担当医らは、感染防止を念頭において、有茎植皮術を施行しても重篤な感染症に罹患しないよう、ゴールデンアワー内に十分な洗浄、消毒、デブリードマンを徹底して行い、また、その後も十分な洗浄、消毒、デブリードマンを行うべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、ゴールデンアワー内あるいはその後の洗浄、消毒、デブリードマンの各処置を十分に行わず、その結果、九月二六日有茎植皮術の施行により、孝を敗血症性の重篤な細菌感染症に罹患させたものと認められる。

(4) この点、被告は、孝のような著しく汚染された高度の剥脱挫滅にあっては、十分な洗浄、消毒、デブリードマンを行っても細菌感染を防ぐことは困難であり、また、細菌感染は皮膚細菌叢内のバランスが崩れることによって生じる複雑な菌交替現象の結果なのであって、感染すなわち失敗という考え方は妥当でないと主張するが、創が著しく汚染され、高度の剥脱挫滅を来していることは、通常以上に十分な洗浄、消毒、デブリードマンを行う必要があることを医師に要求するものであって、仮に細菌感染が皮膚細菌叢内のバランスが崩れることによって生じる複雑な菌交替現象の結果であり、完全な無菌化が困難であるとしても、(一)(2)で認定・判示したところによれば、十分な洗浄、消毒、デブリードマンを行えば、抗生物質の投与等による皮膚細菌叢内のバランスの崩れを防ぐことができ、したがって少なくとも重篤な感染症の発生は防ぎ得たものと考えられるから、被告の右主張は、被告の責任に関する前記認定を左右するものではない。

(三)  抗生物質の投与について

(1) 成立に争いのない乙第一四、第一五号証によれば、孝に投与された抗生物質のうち、セフメタゾンとフルマリンは緑膿菌に対して抗菌性を有さないが、その余のパニマイシン、モダシン、ペントシリンなどは、いずれも緑膿菌に対する抗菌性を有する抗生物質であることが認められる。

(2) 前記認定のとおり、孝に対しては、八月一八日から二三日までの間は一日あたりセフメタゾン二グラムとパニマイシン五〇ミリグラムがそれぞれ二回点滴により投与され、二四日からはパニマイシンの投与が中止されるとともにセフメタゾンに代えてフルマリン二グラムが一日あたり二回投与されたが、既に三〇日には創部から緑膿菌等が検出されていることに照らせば、緑膿菌に対して抗菌性のないセフメタゾンやフルマリンを使用したこと、緑膿菌に対して抗菌性を有するパニマイシンの使用を中止したことは、結果としては適切な処置ではなかったと言うべきである。

もっとも、初期治療における抗生物質の投与については、ある程度の予測に基づく抗生剤の選択も止むを得ないこと、前記のとおり、感染予防という観点からは、創部の洗浄、消毒、デブリードマンこそが重要なのであって、抗生物質の投与は補助的なものにすぎないこと、継続的な抗生物質療法については、ある一時点における抗生剤の適否のみをとらえるのではなく、治療経過を全体的に見て、抗生剤の投与が適切であったか否かを判断すべきところ、九月一日以降、緑膿菌に有効なモダシンに変更され、同じく緑膿菌に抗菌性を有するパニマイシンの創部への散布がなされ、六日以降はモダシンに代えてペントシリンに変更され、また、ペントシリンの創部への散布も併用され、その結果、二六日の有茎植皮術施行まで一応小康状態を保ち得たこと、以上に照らせば、孝に対して行われた抗生物質の投与が、医師として要求される適切な抗生剤を投与すべき義務に違反したとまでは認められない。

(3) したがって、この点に関する原告の主張は採用できない。

3  無気肺を生じさせた注意義務違反(過失)について

(一) 鎖骨下静脈穿刺は、気胸や血胸及びこれらを原因とする無気肺を生じさせることがあるため、鎖骨下静脈穿刺を施行する医師は、基本的手技に則って十分慎重に実施し、気胸や血胸を引き起こさないようにしなくてはならないが、前記認定・判示のとおり、孝には鎖骨下静脈穿刺を原因とする右肺無気肺(右肺の中葉及び下葉を中心に生じた顕著な無気肺)が生じている。

右穿刺の際の過誤は、孝の突然の体動によって生じたものであるが、孝が一〇月二日午後三時三〇分痙攣発作とともに意識を消失し、森岡医師が往診した午後三時四〇分ころには痙攣は治まっていたものの、呼名に対して反応せずに体を動かしている不穏状態にあったことに照らせば、穿刺前に痙攣がなく、不穏状態が治まっていたとしても、意識消失状態にある以上、いつ痙攣や不穏状態が生じるか予測できない状態にあったというべきであり、したがって、穿刺時の不測の体動を予見することは十分に可能であったと認められる。また、証人森岡康夫の証言によれば、孝に対して鎖骨下静脈穿刺を施行する際には、施行医である森岡医師のほか複数の医師及び看護婦も立ち会っていたことが認められ、したがって、孝の身体を拘束することは容易になしえたものと認められる。以上によれば、被告病院の担当医らは、孝に対して鎖骨下静脈穿刺を施行する際、孝の身体を拘束した上でこれを行うべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、孝の身体を拘束せずに穿刺針の刺入を行ったため、孝の体動を抑えることができず、その結果、孝の右肺に中葉及び下葉を中心とする顕著な圧迫性の無気肺を生じさせたものと認められる。

(二) この点被告は、右過誤は不可抗力であったと主張するが、証人森岡康夫の証言にあるように、孝が意識喪失状況にあり、浸潤麻酔のための注射針刺入に伴う痛覚刺激に対して全く反応を示さなかったとしても、いつ痙攣ないし不穏状態となるか予測できない状態にあったというべきである以上、右主張は採用できない。

4  説明義務違反について

前記認定・判示のとおり、九月二六日の有茎植皮術施行前(当日のデブリードマン施行後)の孝の状態は、有茎植皮術の施行により、敗血症性の重篤な感染症が生じる程度に高度な細菌感染の潜伏状態にあったといえるから、有茎植皮術の施行により、生命の危険が生じる可能性の高い状況にあったと認められる。

もっとも、証人西本博文の証言にあるように、被告病院の担当医らは、九月二六日の有茎植皮術施行が感染の予防になると考えていたと認められるから、被告病院の担当医らに原告主張の説明義務の履行を期待しうる状況にはなかったものと認められる。

そして、孝に右のとおりの生命の危険を生ぜしめたことについては、前述のとおり、十分な洗浄、消毒、デブリードマンを行わなかった注意義務違反(過失)が認められるのであって、原告が主張する説明義務違反に含まれる被告病院の担当医らの違法性は、右注意義務違反(過失)の中で評価されているものと言える。

したがって、説明義務違反に関する原告の主張は採用できない。

5  因果関係

孝の死亡原因及び被告病院の担当医らの注意義務違反(過失)に関する以上の認定を総合すれば、孝は、①被告病院の担当医らのゴールデンアワー内あるいはその後の洗浄、消毒、デブリードマンの各処置を十分に行わなかった注意義務違反(過失)により、敗血症性の重篤な細菌感染症に罹患し、呼吸障害ないしは呼吸機能の低下を来したこと、②被告病院の担当医らが鎖骨下静脈穿刺の際に孝の身体を拘束せずに穿刺針の刺入を行った注意義務違反(過失)により、右肺に中葉及び下葉を中心とする顕著な無気肺が生じ、換気能力の低下を来したこと、以上を要因とする呼吸不全により、呼吸停止及び心停止状態となり死亡したものと認められるから、被告病院の担当医らの右各注意義務違反(過失)と孝の死亡との間には因果関係が認められる。

この点、前記認定・判示のとおり、原因の特定できない左肺の一部無気肺化傾向も孝の呼吸不全の一因となっているものと認められるが、左肺の無気肺の程度は、右肺の無気肺に比して極めて軽微であり、呼吸不全に対する寄与度は、敗血症性の呼吸障害ないしは呼吸機能の低下並びに右肺の中葉及び下葉を中心に生じた顕著な無気肺による換気能力の低下に比して極めて小さいものと考えられるから、原因の特定ができない左肺の一部無気肺化傾向の存在も右因果関係を左右するものではない。

五  請求原因5(損害)及び抗弁(損益相殺)について

(一)  孝の逸失利益

金四四四九万四〇一〇円

孝は昭和四五年九月二四日生まれの男子(死亡時二〇歳)で、六七歳まで就労可能であったことは当事者間に争いがなく、原告恭孝本人尋問の結果及びこれにより成立の認められる甲第五号証、第六号証の一ないし六によれば、孝は死亡するまでの約半年間山口鋼業株式会社に勤務し、別紙「給与台帳」記載の内訳に基づく給与を得ていたこと、孝の兄は平成二年九月に同社に入社したが、同人の平成三年度の賞与は年間九一万円であったことが認められる。別紙「給与台帳」記載の「支給額」欄の金額(各加算費目の合計額に一致し、控除項目を控除しない金額)をもって逸失利益算定の基礎とすべき孝の収入とみるのが相当であるところ、受傷に近接した五、六、七月の三か月の「支給額」欄の金額の平均は二三万五三三一円である。その他諸般の事情を総合すれば、孝は、前記経緯により死亡しなければ、六七歳までは就労し、その間平均三七三万三九七二円(=一月当たりの給与二三万五三三一円×一二か月+年間賞与九一万円)を下らない収入を得、その五〇パーセントを生活費として消費したものと推認される。そこで、二〇歳から六七歳まで就労可能年数四七年に対応する新ホフマン係数23.832、五〇パーセントの生活費控除割合を基に計算すると、孝の逸失利益の額は金四四四九万四〇一〇円と認められる。

(373万3972円×生活費控除の残余分0.5×労働能力喪失期間47年の新ホフマン係数23.832=4449万4010円)

(二)  慰謝料

金一〇〇〇万円(本人分)

各金四〇〇万円(原告ら固有分)

原告両名は孝の父母であるところ(争いがない。)、孝の年齢、孝及び原告らが受けた精神的苦痛、すでに認定した被告病院の担当医らの注意義務違反(過失)の内容、程度、その他本件記録に現れた一切の事情を斟酌すると、孝については一〇〇〇万円を、原告らについては各四〇〇万円を相当慰謝料額と認める。

(三)  原告らの相続

右のとおり、原告らが孝の父母であることは当事者間に争いがないから、原告らは各自孝の相続人として、孝の逸失利益四四四九万四〇一〇円と慰謝料一〇〇〇万円の合計五四四九万四〇一〇円の二分の一に相当する金二七二四万七〇〇五円の損害賠償請求権を相続したものと認められる。

(四)  葬儀費用 各金五〇万円

原告恭孝本人尋問の結果に照らすと、原告らは、孝の両親として、孝の葬儀を営み、その費用として相当程度の出捐をしたことが窺われるところ、原告ら各五〇万円を損害として認める。

(五)  労災給付

金一〇七二万七〇〇〇円

原告らは労災給付金として金一〇七二万七〇〇〇円がすでに原告らに対して支給されていると主張し、右金額(原告一人当たり金五三六万三五〇〇円)を損害から控除して請求している。

(六)  抗弁(損益相殺)

各金二五〇万円

原告恭孝本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告らは、孝の死亡に伴い、孝の勤務先であった山口鋼業株式会社から総額約五〇〇万円を受領していることが認められるところ、右金員は金額的に見て、いわゆる見舞金や弔慰金とは解されず、損害填補の性質を有するものと解されるから、原告ら各二五〇万円を、被告に対して原告らそれぞれが有する損害賠償請求権の額から控除するのが相当である。

(七)  弁護士費用各金二〇〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告らは、原告ら訴訟代理人らに対し、本件訴訟の提起、追行を委任し、相当額の報酬の支払いを約束したものと認められるところ、本件事案の内容、審理の経過、認容額、実際に弁護士費用が支払われるであろう日までの期間等その他の一切の事情を勘案すると、被告が賠償すべき弁護士費用の額は、原告両名につき各二〇〇万円をもって相当と認める。

(八)  合計

各金二五八八万三五〇五円

以上によると、原告らが被告に対して請求しうる損害賠償額は、各金二五八八万三五〇五円となる。

なお、附帯請求である遅延損害金の起算日については、原告らが診療契約上の債務不履行責任を主位的に求めている以上、不法行為の結果発生の日である平成二年一〇月二日ではなく、訴状送達日の翌日である平成四年七月一一日から起算するのが相当であり、右損害額の内弁護士費用についても、右起算日以後現実に支払われるであろう日までの期間を考慮した上でその額を認定しているから、やはり、右起算日から起算すべきである。

六  結論

よって、原告らの本訴請求は、診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償金として、各金二五八八万三五〇五円及びこれに対する訴状送達日の翌日である平成四年七月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、仮執行免脱の宣言は相当でないから付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官谷口伸夫 裁判官鬼頭清貴 裁判官西村欣也)

別紙給与台帳〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例